氷室京介 プロフィール
氷室京介 属性プロフィール
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氷室京介 プロフィール概要氷室 京介(ひむろ きょうすけ、1960年10月7日 - )は日本のロックボーカリスト、ミュージシャン。群馬県高崎市出身。所属事務所はBeat Nix。ロサンゼルス在住。
氷室京介 プロフィール詳細
経歴
デビュー1979年当時、高校生だった彼は、同級生の松井恒松ら四人で結成したアマチュアバンド「デスペナルティ」で、ヤマハ主催の「EAST WEST '79」決勝大会において入賞。これを機に上京し、音楽事務所「ビーイング」と契約。しかしながら、事務所社長・長戸大幸の意向でバンド解散。その後、寺西修一と名乗り、バンド「スピニッヂ・パワー」のシングル『BORO BORO BORO』にコーラスとして参加。1980年第三期ボーカリストとしてスピニッヂ・パワーに正式加入し、シングル『HOT SUMMER RAIN』、アルバム『IN & OUT』で、本格的にプロデビュー。テレビ番組『11時に歌いましょう』(TBS)などに出演する。しかし、ポップス色の強かったバンドの音楽性などが肌に合わず脱退(その後、バンドも解散する)。BOWY時代1981年全てが思い通りにならない、どん底の時期、意を決した彼は、同郷のライバル布袋寅泰に声をかけ、彼の協力のもと、曲作り及び失った自らのバンドの再生を果たす。1982年3月21日、アルバム『MORAL』でBOWYのボーカリストとして再デビュー。1984年12月、「狂介」から「京介」に改名。1987年12月24日既に絶頂期の人気を獲得していたBOWYは、その年、解散という噂とともにツアーを続けていたが、ファイナルの渋谷公会堂のアンコール、氷室からバンドの終焉を宣言。ソロ始動1988年7月21日、解散公演からわずか3ヵ月後の7月、シングル『ANGEL』でソロデビュー。その後、ツアーも開始。10月27日、STINGの東京ドーム来日コンサートに出演する。12月12日 - 15日、KING SWING香港ツアー(香港QUEEN ELIZABETH STADIUMにてライブコンサート)1989年7月21日、Charlie Sexton(ギターリスト)の東京公演にゲスト出演。8月6日、「HIROSHIMA '89 LIVE」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。9月27日、2nd アルバム「NEO FASIO」リリース。1990年4月13日 - 18日、KING SWING ハワイツアーを敢行。7月7日、「GOLDEN AGE OF R&R(日比谷野外音楽堂)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。8月6日、「JT SUPER SOUND '90(真駒内陸上競技場)」に出演。8月12日、「ROCK'N ROLLオリンピック(仙台スポーツランド)」に出演。10月27日、A.R.B.のラストコンサート(代々木体育館)にゲスト出演(『TOKYO CITYは風だらけ』を競演する)。1991年8月1日、「JT SUPER SOUND '91(日本武道館)」に出演(この模様は日本テレビにて放送。『LOVE & GAME』を演奏する)。 1992年12月7日、シングル『KISS ME』リリース。自身初のミリオンセラーを達成する。1993年1月7日、アルバム『Memories Of Blue』リリース。累計130万枚を超える大ヒットとなる。渡米後1994年自身の希望により家族とロサンゼルスに渡米。1995年3月7日、「阪神・淡路大震災チャリティーコンサート」に出演する(布袋寅泰も出演)。10月、東芝EMIからポリドールへ移籍。個人レーベル”BeatNix”設立。2003年ソロ15周年に当たるこの年、アルバム名やイベント名として「Case Of Himuro」というタイトルが使用され、その意味深なタイトルに惹きつけられたかのようなバンド時代からのファンも巻き込み、またその後全国ツアーを行った。2004年8月22日、東京ドームでしばらく封印していたBOWY時代の曲を自らのソロ曲と共に演奏する「21st Century Boowys VS HIMURO」を行い、5万5千人のファンが全国から集まった。NBAのシャキール・オニールが所有していたビバリーヒルズにある豪邸を約7億円で購入し、11月7日付の米ロサンゼルス・タイムズ紙などで取り上げられた。2005年9月14日、スクウェア・エニックスより発売された映像作品「ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン」のテーマ曲としてアルバム『NEO FASCIO』収録の楽曲「CALLING」が使用された。2006年8月5日 - 6日、GLAYと『KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM SWING ADDICTION』を味の素スタジアムで開催した。11月27日、GLAYのツアーを京都会館第一ホールで観覧、アンコールで飛び入り出演する。2007年7月16日、ap bank fes '07にシークレットゲストとして出演し、会場を驚かせた(ファンにも当然知らされていなかった)。
人物
1982年、氷室狂介の名前でロックバンドBOWYのヴォーカリストとしてアルバム『MORAL』で再デビューを果たす。システムに組み込まれないという価値観と性急なまでの縦ノリビートが当時、二十歳前後の若者に絶大なる支持を得て、日本独自のビート系ロックバンドとして、それ以後、解散までの約6年間に、日本のロック界ではまだ有り得なかった数々の伝説を残した(音楽評論家の間では、よく「BOWY以前、BOWY以後」と表現された)。1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位となる。その後も独自のロック美学と圧倒的なライブパフォーマンスがカリスマ的に多くのフォロワーや業界関係者に影響を与える。バラッドでの声の広がり、音程など、その歌唱技術にも定評がある(またバンド解散後にソロとしても1位を取り続けることのできたアーティストは少ない)。1994年ロサンゼルスに創作拠点を置いて以後、マスメディアへの露出は更に減ったが(「たとえファンが離れても仕方ないと思っていた」と後にコメント)、日本でライブコンサートを開けば驚くほどの数のファンが集まる。ロサンゼルスという環境を生かして凄腕の外国人エンジニア、アーティスト、ミュージシャン等に自らオファーを出し、自らをプロデュースするという形をとっている。またクロムハーツとコラボレートするなどファッションにもこだわりを見せている。趣味は、ライカでの写真撮影。好きな写真家はアンリ・カルティエ・ブレッソンなど。音楽に対する姿勢レコーディングでは、ジョシュ・フリーズ(Josh Freese,ドラム)、マイケル・ランドウ(ギター)などその他L.Aの売れ筋ミュージシャンを多く起用している。楽曲は幾度も作り直すなどアレンジや録音にも多くの時間をさいて、演者であること以上にクリエイティブであり続けることに重きを置いている。また”あくまでニルヴァーナ以降の流れ”とのコメントからは、80年代以降、もはや存在しないと認識されていた初期衝動としてのロックやインディペンデントであることなどが90年代に再び発見されたように、それらが、やはり自分にとっても重要であって、いかにランキングや流行の波に乗るかといったことはさして興味がなく、”俺の求めるサウンドはもう、こちらにさえない”と最近になってコメントするほど、常に何処にも存在しないものを自分の力で創り出したいという欲求はむしろロックというよりも真のアーティスト的な感覚に近い。特に2003年のアルバムリリース直後「クレームが来ないか心配だった」と語るとおり、それまでのバラードなどのクオリティ重視とはうって変わり再び荒削りなロックとしての音作りを追求。実際に、前作の感じを期待していると裏切られ賛否両論に別れるというのが渡米後は普通のこととなってきている。作詞について作詞に関しては、初期は、松井五郎が主だったが、最近では、森雪之丞の起用が目立つ。本人曰く、「BOWY時代は、詞を書いたが、ソロではほとんど詞を書かなくなった」、「アルバム『FOLLOW THE WIND』は全て雪之丞さんに作詞を依頼した」。自分で作詞をしなくなったのは、BOWYのアルバムMORAL収録曲の「SCHOOL OUT」の詞の内容に影響された若者が、「あなたの言うとおり学校を中退した」などとする内容の手紙を送ってきたためで、歌詞の影響力について深く知ったためと述べている。シングル『EASY LOVE』、アルバム『IN THE MOOD』収録曲『Ignition』では、再び松井五郎を起用した。「息子の成長を見守ってる内に自分にも心境の変化があった。この世界を表現するには松井さんが適任だと思った」「彼の詞は聴き手によって、どちらの意味にも取れるので…」とその理由を述べた。「そろそろ自分でも詞を書く時期に来ているのかな」とのコメントもしているが、過去の氷室自身にしか作れない言い回しなどをよく知るファンからは、再び作詞を希望する声も多く聞かれる。過酷なツアーライヴツアーの本数が増えてきていることに関しては、「肉体的には疲れても精神的にはエネルギーをもらえるから」とコメントしている。ツアーのサポートミュージシャンは、本田毅(ギター)、西山史晃(ベース)など主要メンバーは定着している。ドラマーやキーボードなど起用するミュージシャンにより、変化あるツアーを実現しているが、そのバンドの魅力はなんといっても毎回演奏クオリティの高さだろう。また派手な演出やMCをするわけでもなく延々と終演まで20数曲をたたみかけていく様はまさにライヴの王道である。洋ロックの有名ハウス・エンジニアを迎えるなど自他共に音への要求レベルも高い。それはコアなファンも同様でときにグルーブ、PA、果ては氷室自身のコンディションやオーディエンスのノリなどについて感想をぶつけあうといったことがツアー中は夜ごとどこかで繰り返されたりする。そんな10代から50代までの耳の肥えた、またはライブ慣れしたオーディエンスも含む幅広い層のファンのみならず多くの業界関係者にも足を運ばせる。最近では女性のオーディエンスも増え男女比は6:4くらいになっている。Web関連2007年、自宅のスタジオから「青少年のいじめや自殺問題」に言及するなど、ダイレクトなコミニュケーションツールとしてのポッドキャストの配信を開始。音楽に没頭する期間はそう頻繁に更新することは難しいが、日本だけでなくまたファン以外の人の反応もつぶさに感じ取れるとあって熱のこもったトークが展開された。寄せられた感想などは直接彼のパソコン上にあがる仕組みになっており、その感想などにまた彼が答えるといったやりとりが好評だった。2007年のツアーにおける3月13日に行われたライブの映像が、4月4日からiTunes Storeにおいて順次リリースされた。公演後わずか3週間でライブビデオとしてリリースするという試みは日本人初であった。
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1988年 アルバム大賞 ANGEL 氷室京介
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